小池手造り農産加工所 | 会社概要

小池手造り農産加工所|会社概要 |

会社概要

小池手造り農産加工所有限会社

創立:
2001年4月
従業員数:
31人(パートアルバイト含む)
取り扱い商品:
各種ジャム、ジュース、トマト加工品(ケチャップ他)、各種酢、各種ドレッシング、みそ加工品(ふき味噌他)、煮豆、くんせい卵、こんにゃく等惣菜、梅干等漬け物
購入方法:
TEL、FAXにてご注文下さい
取扱店:
道の駅(平谷村、飯島町、根羽村、下條村など)、アピタ飯田店他
詳しくはこちらをご覧ください。

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会長:小池芳子

生年月日:
昭和7年9月30日
さる年、てんびん座、A型

経歴:
農林水産省 ボランタリープランナー
‘25村づくり機構アドバイザー
地域特産物マイスター
南信州特産加工開発連絡協議会 顧問

ひとこと:
人の幸せの基本は健康な体であることです。
健康な体は、体に良い食べ物をたっぷりととることで作られます。私たちは、二十年の実績と加工技術を身につけて誰にも負けないもの作りを自負しています。


会社理念・行動指針

会社理念

“もったいない”“いただきます”“おあがりて”
3つの心を込めて商品を提供します

農家に合わせた小ロットで多品目の受託加工をすることに努め、生産者と共に手造りされた安心安全な美味しい食品を消費者に提供することを通じて、農と食の大切さを広く消費者に伝え、中山間地域の保全と人の命と営みが尊ばれる社会の実現に寄与してゆきます。

もったいない
MOTTAINAI  環境保護活動で世界のことばになりました。
食べ物を粗末にしてはいけないと小さい頃からあらゆる場面で使う「しつけ」の言葉でした

いただきます
食べると言う行為は「自分が他の命を奪って生きている」
当たり前の日常の中に感謝と謙虚さを悟す深い言葉です。

おあがりて
(信州の方言で)さあ、召し上がれ
おもてなしの暖かい言葉です。

行動指針

  1. 和をもって、明るい社風を大切にします
  2. 地域資源を大切にして、安心安全な物づくりを進めます
  3. 会社は歴史を刻むほど価値があります
  4. 風と共に生き続ける会社を創ります
  5. 規律を守り、協同で任を果たします

仕事を通して社会に貢献したいこと

  1. 食料自給率の向上=農家の収入向上を望みます
    日本の農業従事者を減らしてはいけません
    規格外農産物を加工し商品化することにより農家の収入をあげ、安定することが 農業の継続と後継者をつくります
  2. 食べ物は命をつなぐものです 安心安全なものを食べて欲しい
    人の身体は食べたもので作られています、健康に直結しています
  3. 地球環境の立場からも、住民としての立場からも中山間地域が存続して欲しい
    二酸化炭素の吸収、酸素の提供、生態系のバランス、農地の保水等農地の環境への影響は測り知れません
  4. 美味しいと感じることの幸福を届けたい
    農産物は加工することで、また新たな食味が生まれてきます。加工しないと食せないものもあります。地域の女達が生み出した「ここでの逸品」を皆様に届けたい
  5. 手造りの食卓を囲む笑顔の溢れる機会が増えることを望みます

当社のあゆみ(沿革)

60歳起業の不屈のワンマン女性社長
起業への道

1.女性グループとしての発展

S54
女性による集落営農をまとめる 稲作・養蚕から野菜作りに転換
育苗センターの運営を女性グループで始める
S59
無人販売所を設立 
農村女性による農村女性が企画した初の経済活動であった
規格内農産物の収入はJA出荷され夫の口座に入るものであった中で 
自分の自由になる規格外野菜を顧客に売るという経済活動(直売所の前身を生む)
の始まりであった

農家の女達は大豆を作り「味噌」に加工し、梅、大根、野沢菜を漬ける
豆腐を作り、こんにゃくをつくり、ワラビを干し、筍を冷凍する
ピーマンや唐辛子の葉を佃煮にし、サツマイモの茎を煮物にする
経営をすることは簡単ではなかったが、農産加工をするということは、当たり前に「女としてのスキル」で(当然美味しく出来る人とそれなりの人がいた)「嫁として家族の食料を一年分確保する大仕事」でした。

飲料:当時は無果汁オレンジ風味の甘い飲み物がジュースと喜ばれていました。100%りんごジュース(当時は一升瓶)を飲めることは、貴重で、大変に贅沢で、食品の安心安全という質の高い先駆的な取組でした。

2.起業 加工所開設(六次化のさきがけ)

S61(53歳)
富田農産加工所設立 女性27名で出資し、村の助成金を獲得して
りんごジュース、りんごジャム、とうふ製造を行う

3.独立

H5(60歳)
小池手作り農産加工所 起業
H13.4(67歳)
法人化 小池手造り農産加工所有限会社 
代表取締役就任
H13.12(68歳)
飯田工場増設 
地域特産物マイスターに認定(全国19番目、加工部門では初)
県内外において、加工施設、直売所の設立を支援、指導した功績が
認められました

南信州特産品加工開発連絡会設立
「一村一品、朝市」等地域おこしの加工品を作る仲間と製造及び表示の学習会及び販売会を企画して、仲間との横のつながり及び農政課、保健所との縦のつながりを持ち、品質、技術、販売実績をあげる団体を作った

H20(76歳)
長野県知事賞受賞
H22.4(77歳)
小池芳子 黄綬褒章受章
感謝の会開催 創業10周年の感謝と黄綬褒章受章の報告
農産加工という形で農業に貢献してきたこと、日本全国の加工所設立に力を注いだ功績が認められました
H23.4( 78歳)
農水省より六次化推進の為の「ボランタリープランナー」に任名

4.会長となる

H23.6(79歳)
代表取締役社長を辞任し会長に就任
代表取締役 小池伊佐子
H25.3(80歳)
代表取締役 松島敏 就任
出資金1100万円
現在
法人13期を迎える
従業員数 31名(パートを含む)

当社のDNA

小池手造り農産加工所のDNA

 会長、小池芳子の父、信(まこと)の口癖は、『女性にも高等教育の機会を与え、〝自らが一個人として独立した存在であること〟が、これからの女性には求められる』というものであった。昭和20年代から「女性の自立」を口にする男性は極めて少なく、芳子はそんな父の影響もあって、思春期頃から親に極力頼らないということを一つの意思として持ち合わせていた。  高校を卒業した後、地元、喬木南農協に就職。生活課の主任として米や砂糖の配給を始め、生活資材一切を担当していた。他の農協の担当者が男性ばかりの中にあって、ただ一人の女性であったが、父の言葉を聞いて育った芳子は、なんら違和感を覚えることなく会議等にも参画していた。

 結婚後、諸事情により家業であった養蚕を担うことになり、いかにして収益を高めるかについて腐心し、最も手間のかかる桑の生産について五軒の農家と契約し、自らは蚕を飼うことに専念した。これが現在、会社の特色の一つに挙げられる「生産者から農産物を預かり、加工委託を受けて製品化する経営方式」の礎となったと言える。  その後、養蚕が下火になったため、何か他に手がける事業はないかと模索した結果、取り組み始めたのが野菜づくりだった。一人では相手にしてもらえなかった農協も、集団化して事業に当たることで取引に応じてくれた。当時としては大金の300万円を貸し付けてくれ、その資金を使って地元の女性たちだけで育苗センターを設立・運営をし始めた。この時、特に留意したのが「農家の女性が子育てをしながら参加できる農業を確立する」ことであった。この思いも、現在の小池手造り農産加工所に引き継がれていると言える。

 昭和58年には、規格外の野菜を活かし、女性達の手取り収入を確保するために、無人販売所を開設した。その後、仲間の後押しもあり、喬木村議会議員を二期(八年間)務め、女性の視点を最大限に発揮して、村の安全な水源の確保や、災害で傷ついたリンゴをなんとか加工して世に送り出そうと、県や村の助成を受け、しかも女性だけで「富田農産加工所」を設立した。

 平成5年、加工需要の高まりを背景に順調に事業が進展したこともあり、遂に実家の蚕室を改造して「小池手造り農産加工所」として独立を果たす。芳子は60歳であった。  その後、平成12年に当時競売にかかった現在の飯田市下久堅の施設を買い求め、加工施設を拡充。  おかげ様で、現在は全国およそ2,000軒(延べ)の農家さんと取引があり、全国に商品を送っています。
(参考資料:長野県下伊那地方事務所発行「信州農業の元気 かあちゃんたちに学ぶ」より)


受賞歴

平成20年 長野県知事賞受賞
平成22年 黄綬褒章受章